Life is not easy, but hope is exist ....

不登校でひきこもりの息子16才。笑って日々を過ごしたい母は今日も…。

ひっそりと命を絶つ前に

 大阪で55歳の母親が通信制高校に通う息子(16歳)を

刺殺し、自殺したようだ。

母子家庭だったのだろうか。

通信制高校に通っていたということは、様々な理由が推察されるが

中学を卒業する段階で、全日制を選ばず入学したのか、

何らかの困難があって全日制の高校から通信制へと転入したのか。

家庭の経済的事情、いじめ、不登校

などと、想像している。

 

かつての私は、なんらかの理由で高校をドロップアウトした子供に

同情的にではあるが、他人事として片づけていた。

が、今朝のこのニュースには完全に打ちのめされた。

私の未来の姿かもしれない事件が起きたからだ。

 

55歳のこの母は、完全に孤立し、なすすべなく、絶望と共に

刃物を息子に向けたのだ。

これは殺意ではない。

人間が最も耐えることの難しい、出口なしの完璧な絶望からの

甘美な逃走なのだ。

これを終わりにしたい。

一日も、一時間も、もう耐えられない。

死ねばこれを終わりにできる。

抗いがたい誘惑。

によって行われた心中なのだ。

無名な母と息子が悲劇的にこの世を去った。

ほんの数分で忘れ去られるこのニュースに、私は打ちのめされ

何かをしなくてはならないと、数か月ぶりにブログを開いた。

その何か、とは母たちをなんとかして救いたい、という

だいそれて不遜な希望だ。

 

ある日突然訪れる、我が子の停滞と不適応。

自分の子供だけがメインストリームからこぼれ落ちる

残酷な現実。

母としてのアイデンティティの崩壊。

作り上げてきた親子の信頼関係の瓦解。

パニックの嵐。傷ついた子供へ最も発してはいけない非難の言動。

最終的には子供の奥底にかろうじて存在する

「愛を受け入れる柔らかさ」を錯乱状態のまま踏みつぶすのだ。

母親が。

ああ、私がそのもっと手前で彼女を救えなかったのだろうか。

最愛の子の首に刃物を突き立てるまえに。

他の子供達の行く道には、我が子はいかないかも知れない。

が、必ずあるんだ。

もうひとつの道が。

死ななくてもいい、歩いてゆける数本の道が。